(1)五山の送り火見る会とは
嵐山グランマルシェ開催施設「嵐山コミュニティハウス」の4階は眺望抜群で、愛宕山から嵐山、比叡山まで盆地を取り囲む山々全体を見渡せるんです。
それだから、五山の送り火鑑賞は特等席ちゅーことです。嵐山グランマルシェでは毎年恒例行事で、8月16日4階は満席になります。20時に火が灯り始めますと、みなさんテラスに出て鑑賞し、五山の送り火の撮影や、ご家族とスナップ撮影などなさっています。
入場無料
17時から4階グランマルシェレストラン&バーオープン。
お席は予約制です。ご予約なしですとお席の御用意ができない場合があります💦
(LINE公式アカウントからご予約どうぞ。お電話は☎080-4820-4008 大島)
- 大文字20:00点火 京都市左京区浄土寺・大文字山(標高約466メートル)
- 妙法20:05点火 京都市左京区松ヶ崎・西山(万燈籠山)(標高約133メートル)
- 船形20:10点火 京都市北区西賀茂・船山(標高約317メートル)
- 左大文字20:15点火 京都市北区大北山・左大文字山(標高約231メートル)
- 鳥居形20:20点火 京都市右京区嵯峨鳥居本・曼陀羅山(標高約100メートル)
という順番です。
嵐山グランマルシェ4階では、左大文字と鳥居形が大きくくっきり鑑賞できます。
(2)京都四大行事の1つ、五山の送り火の歴史
https://www.gozan-okuribi.com/2022/ja/top.html(京都五山送火ホームページ)
五山の送り火はお盆(盂蘭盆(うらぼん))にあの世(冥府)から帰ってきたお精霊さん(おしょらいさん・死者の霊)をあの世に送り返す仏教的行事です。五山の送り火はいつ始まったかは明確ではありません。一説には戦国時代に多くの灯明を灯して仏神を供養する万灯会(まんどうえ)が山の山腹で行われるようになり、お盆の精霊の送り火(門火(かどび))になったとも言われています。(諸説あり)
五山の送り火が記されている最古の文献は公卿・舟橋秀賢(ふなはしひでかた)の「慶長日件録(けいちょうにっけんろく)」で、江戸時代初期の1603年(慶長8年)7月16日に「晩に及び冷泉亭に行く 山々灯を焼く 見物に東河原に出でおわんぬ」と記されています。ただ具体的なことは記されていません。大文字・妙法・船形が具体的に記されている最古の文献は1662年(寛文2年)に刊行された俳人・中川喜雲(なかがわきうん)著の「案内者(あんないしゃ)」で、「山々の送り火、但し雨ふればのぶるなり、萬治三年庚子(1660年)七月十六日雨天ゆえ、東山の大もんじその外十七日にこれあり、松ケ崎には妙法の二字を火にともす、やまに妙法といふ筆画に杭をうち、松明を結びつけて火をともしたるものなり。きた山には帆かけぶね、浄土寺に大文字みなかくのごとし。」と記されています。左大文字が具体的に記されている最古の文献は1665年(寛文5年)に刊行された松生元敬(まつのげんけい)著の「扶桑京華志(ふそうけいかし)」で、「大文字、北山村の西山に火を以て大の字を燃やす。伝えるところ、これまた弘法の筆画なり。左大文字、京の町より北山をのぞんで左にあるところなり」と記されています。鳥居形が具体的に記されている最古の文献は1791年(寛政3年)に刊行された随筆家・神沢貞幹(かんざわていかん)著の「翁草(おきなぐさ)」と言われています。ちなみに鳥居形は1660年(万治3年)の「洛外図」に大文字・妙法とともに描かれています。京都にはかつて「い(市原野)」・「ー(鳴滝)」・「竹の先に鈴(西山)」・「蛇(北嵯峨)」・「長刀(観空寺村)」などがあったと言われています。なお五山送り火は京都三大祭り(葵祭・祇園祭・時代祭)とともに京都四大行事と言われています。
(3)五山の送り火 言い伝え
五山送り火は古くからお盆・コップなどに注いだ水に灯りを映して飲むと中風にならないとも言われています。中風は脳血管障害の後遺症である半身不随・片麻痺・言語障害などを言うそうです。
ナスに穴を開けて灯りを見ると目がよくなるとも言われています。
消炭(けしずみ・から消し)は疫病除け・魔除け・泥棒除けになるとも言われています。消炭は奉書紙(ほうしょし・半紙)に巻いて水引を掛けて家の玄関先(戸口)に吊るします。また消炭はお腹にのせると腹痛に効き、削って飲むと虫下しになるという言い伝えもあるそうです。
ちなみに五山送り火では登山禁止になっている場所があります。